歴史目次    遠見番所


地役人  遠見番と山方役

遠見番

江戸時代の天草には、富岡代官所の指揮下に、武士身分の地役人が置かれていた。
遠見番と山方役である。

遠見番とは、天草を海防の要として、遠見番所を設置し、その番所に武士身分を持つ、地役人を配置した役人である。
鈴木重成は、寛永18年(1641)、富岡、大江、魚貫アの3ヶ所に、遠見番所を設け、遠見番8名を配置した。
遠見役人廃置の内訳は、富岡4名、大江2名、魚貫ア2名である。
さらに、日田代官兼任支配の享保2年(1717)、崎津、牛深の2か所を増設した。ただし、遠見番定員は変わらず、富岡2名、大江1名、崎津2名、魚貫ア1名、牛深2名の配置である。

遠見番の職掌
 @ 南蛮船の来航監視、密貿易の取締り、漂着船の処理
 A 難波船の救助
 B 旅船、旅人の入出島の管理
 C 造船、解船、売船の監督
 D 浦方に関する違法行為の摘発。


 遠見番所ついてはこちらを参照


山方役

山方役は、延宝元年(1673)、小川藤左衛門の時に置かれた。
配置、および人員は次の通り。
 
 富岡付 5名
 ア津付 5名
 亀川付 5名

元禄三年(1690)、内野河内に番所を増設。
富岡付6名、ア津付3名、亀川付3名、内野河内付2名、計14名に拡充。
残り1名は、肥前御料林担当・茂木村詰として派遣し、年貢回米の折りには、長崎勤務を兼ねさせた。

元禄六年(1693)、富岡付、内野河内付をそれぞれ1名増員。

明和七年(1770)、西国郡代兼任時代、山方役は、4名に削減。(遠見番8名はそのまま)
その代り、大庄屋(10名)に、山方役の下役を仰せつけた。

役目としては、山林の管理と運上取立てに当たらせるとともに、遠見番の補完、更には天草郡の治安をも任じていた。

山方役の主な職掌
 @ 竹木や薪の運上取立
 A 野焼き山焼きの監督
 B 幕府直営林(御林・官山・留山=福連木)の管理
 C 民有林、竹木伐採の取締まり
 D 遠見番管轄地域外の難破船救助
 E 唐蘭船漂着の際、遠見番への支援
 F 管轄内の保安警察事務

明和七年(1770)の新しい配置は次の通り。おおよそ世襲制となる。

[遠見番]
 富岡付    青木(旧山方役)
        大西(留任)
 大江付    八田(旧山方役)
 魚貫ア付   緒方(留任)
 ア津付    吉村(留任)
        丹羽(旧山方役)
 牛深付    新井(留任)
        本間(旧山方役)
[山方役] 
 富岡付    江間(留任)
 ア津付    奥山(留任)
 亀川付    高田(留任)
 内野河内付  大西(留任)
 



山方番所跡 大西家
上天草市松島町内野河内