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 永田隆三郎   弘化一揆  
 
法界平等碑
 
天草市栖本町古江
 
     
               山側の碑        海側の碑  

 
   法界平等碑文
「南無阿弥陀仏無縁法界平等利益」なむあみだぶつむえんほっかいびょうどうりやく。仏教に縁があろうとなかろうと、仏法のもとでは人間はみな平等で利益をえることでなければならない、一部の人のみ利益を得たり、不平等で差別があってはならない。
 この平等思想は本来仏教思想であるが、これを古江村庄屋永田隆三郎氏が39歳の時、文政11年(1828年)にこの古墳の地に建立したあと、58歳時弘化4年(1847年)に同士とともに世直し大一揆を実践しようとする。ところが当時の封建制社会では、この平等思想が実現することは全く困難であった。
 しかし、民衆のために命をかけて正義を貫こうとして義民となった隆三郎翁のこの碑は、人間の尊い精神を表したもので、全国的にみて例のない貴重な文化遺産である。 
  1999年3月28日 
  撰文 鶴田文史
 
     

 
永田隆三郎 栖本町古江 

 義民永田隆三郎百五十年記念

 永田隆三郎は寛政2年(1770)古江村庄屋9代滋右衛門の子として生まれ、長じて庄屋10代を継ぐ。信仰心篤く、村民に研学を勧むるかたわら、河川の整備、農地開拓等に力を注ぐ。時下、天草郡民の生活の困窮に陥るに心を痛め、その打開のため交渉上訴に奔走するが容れられず、結果として弘化4年(1847)の世直し大一揆へと発展する。一揆の首謀者として捕らえられ嘉永2年2月獄門に処せられる事となったが、時運を如何にすべき。巧妙また誰が論ぜん。後日里長は妻の実家大島子村庄屋益田家によって継がれ家系現在に至る。尚、隆三郎の肝入りによる幾多の建立物中、「無縁法界平等利益」の碑は氏の思想の一端を伺わせる貴重な建造遺物として注目される。
 敬白


 平成11年3月28日
  建立者 永田家益田家14代 益田進
  撰 文  鶴田文史
  謹 書  上中万五郎

   

 
  永田隆三郎翁の碑

 翁は1789年古江村庄屋永田家の三男として生を享けられました。22歳にて10代目庄屋をつがれ、爾来春秋30有余年の永きに亘りました。即ち殖産を興し、社稜を祭り、生活の向上と人心の安定に尽くされました。
 而して世は武家政治の拮抗にあり、産物の大半は幕府の牧むる処でありました。
 1846年翁56歳の頃には人口の増加に加え、天変地変相次ぎ起こり、大飢餓におそわれ、島民の惨状目を覆はしむる有様が続きました。此の秋、翁座視する能わず全島87カ村の庄屋に呼びかけ、天草百姓救済仕法の発布を幕府に求められました。翁の身変わりとして御領組大庄屋長岡興就公は直訴をなし、長崎奉行につながる身となりました。結果弘化の仕法を見るに至りましたが、満足すべきものではありませんでした。そこで翁今一度直接行動に出て当路の関係者に反省を求め幕府に徳政の発布を促し以って民百姓の困窮を救い長岡の助命を計る為深い決意をなさいました。古江の惣若者は、秋月大明神元諏訪宮に祈願をなし、鳥居を建立して心を一にして、翁と運命を共にせんと誓い合い、直ちに全島の同志に呼びかけました。
 1848年1月27日より6日間、天草全島を嵐と化した弘化大一揆は、かくして翁と古江総若者によって火蓋を切ったのであります。其の及びたるは26カ村、銀主84軒を打ちこわし、1万5千余人の大動員に成功したのであります。然るに封建の世の一揆の指導者には極刑の掟がまっていました。1849年2月2日翁いささかも動ずるなく、妻子眷族を捨てられ、ひたすら民百姓の上に悲を寄せられつつ、縦容として獄門に処せられました。茲に連々198年庄屋たりし水田家は、10代にして断絶、翁60年の全生涯を此の地に終えられたのであります。
 《以下略》
 合掌     
 昭和46年(1971)2月2日

 
 

 
 永田隆三郎の墓
 
無縁法界平等利益の碑の山手に墓地はある  
この墓地には、隆三郎の師や養女雪野の墓もある。
 

 
  永田隆三郎宅跡

 祖先の偉業を知り昔を偲び、思いを古によすることはあながち無益な事ではなかろう。 
 永田隆三郎翁の偉業については、あまりにも有名で知らぬ人は無いと思うけれど、この地が翁の起居の場であったとは、知る者とて次第に数少なくなるにちがいない。
 弘化大一揆の指導者永田隆三郎翁の偉徳にふれる時、古江公民館がこの地に在るのも歴史の流れの一こまであるにちがいない。
 われわれは祖先の汗にまみれた土地に目を注ぐことを忘れてなるまい。
 平成311月 
 古江・稚児崎区民一同




 ※ 現在は公民館となっている。
 
    



田隆三郎関係史跡・碑等位置図


参考図書

 『天草法界平等物語』 鶴田文史著 近代文芸社 2006.10.1
 『西海の乱 天草民衆運史』 鶴田文史著 西海文化史研究所 205.12.31