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天草の歴史年表 
    1600〜1867<江戸時代

西暦 元号 年号   出来事
 1600 慶長  5    関ヶ原の戦い 小西行長処刑、天草は加藤清正領となる
1601 慶長 6  
1602 慶長 7   
1603 慶長 8   家康、征夷大将軍
 天草は寺沢広高(唐津藩)の領地となる。
 寺沢広高、富岡に新城を築き番代を置く。 検地をする。(4万2千石?)、
 加藤清正、熊本城築城に着手する。
1604 慶長 9   広高、長崎代官罷免さる
1605 慶長 10   徳川秀忠、将軍就任。
 広高キリシタン弾圧強める
1606 慶長 11   
1607 慶長 12   
1608 慶長 13   
1609 慶長 14   
1610 慶長 15   
1611 慶長 16   加藤清正死去。
1612 慶長 17   
1613 慶長 18   家康禁教令・宣教師国外追放。
1614 慶長 19   島原・天草はじめ全国でキリシタン弾圧が始まる。アダム荒川処刑さる。
1615 元和 1   大阪夏の陣・豊臣氏滅ぶ。
 細川忠興次子興秋(熊本藩初代藩主忠利兄)、豊臣に組みしも破れ、天草に逃れる。御領組大庄屋の始祖。
1616 元和 2   家康死去
 松倉重政、島原城主となる
1617 元和 3   
1618 元和 4   
1619 元和 5   
1620 元和 6   絵踏み、長崎で実施される。
1621 元和 7   三宅藤兵衛(2,500石・1000石とも)富岡番代となる。
1622 元和 8   
1623 元和 9   
1624 寛永 1   
1625 寛永 2   寺沢広高隠居、堅高家督相続。
1626 寛永 3   
1627 寛永 4   
1628 寛永 5   
1629 寛永 6   
1630 寛永 7   
1631 寛永 8   
1632 寛永 9   徳川秀忠死去。
 加藤忠広配流。細川忠利、熊本藩主。
1633 寛永 10   第1回鎖国令(海外渡航禁止)
 中浦ジュリアン(少年使節)、長崎で倒し倒吊りの刑を受け殉教
1634 寛永 11   この年より天草・島原に不作続く・幕府、酒造高の半減を命ず・細川藩、年貢の減免を命ず
1635 寛永 12   大火や地震、大風が相次ぎ、7月には肥後だけで34,000戸の民家が倒壊
1636 寛永 13   春は長雨、夏は干天
1637 寛永 14   10天草・島原の乱起こる。
1638 寛永 15   2.28原城落城・乱終結。
 天草は山崎家治所領となる。
 魚貫崎遠見番所設置
1639 寛永 16
1640 寛永 17   
1641 寛永 18   鎖国体制完成
 山崎家治、讃岐丸亀へ移封、天領となり代官
鈴木重成着任
 牛深遠見山に番所も設置
 諏訪宮本渡へ移転、本渡の市始まる
1642 寛永 19   幕府、九州諸藩に天草への移民命じる
 熊本藩は頭百姓50人、男女170人、馬2匹提供する。
1643 寛永 20   
1644 正保 1   
1645 正保 2   重成定浦制定める(弁指制)
1646 正保 3   
1647 正保 4   富岡に首塚を建立
1648 慶安 1   東向寺建立。
1649 慶安 2   慶安の御触書
1650 慶安 3   
1651 慶安 4   崎津八幡宮創立
1652 承応 1   
1653 承応 2   代官鈴木重成死去。(65歳)
1654 承応 3   二代代官鈴木重辰着任。
1655 明暦 1   天草へ初めて流人送られる。
1656 明暦 2   
1657 明暦 3   富岡、町となる
1658 万治 1   天草の人口16,000人、乱時の人口に回復
1659 万治 2   石高半減なる(2万1千石)
 福連木官山の切り出し始まる

 7ヶ浦を改定し、20ヶ浦へ
1660 万治 3   
1661 寛文 1   
1662 寛文 2   
1663 寛文 3   
1664 寛文 4    鈴木重辰京都代官へ・天草私領となり三河国田原城主戸田忠昌領となる
1665 寛文 5   
1666 寛文 6   天草郡中町村の五人組張始まる(?)
1667 寛文 7   
1668 寛文 8   
1669 寛文 9   
1670 寛文 10   鈴木重辰、京都にて死去。
 戸田の破城
 戸田忠昌寺社奉行に任命され、天草は再び天領となる・忠昌富岡城を三の丸のみを残し破城する
1671 寛文 11   小川正辰代官。細川藩再び天草警衛。
1672 寛文 12   砥岐組のみ、島原城主松平忠房の預かり所となる。
1673 延宝 1   長崎奉公人出始める。
 山方約(15人)新設、富岡・崎津・亀川に配置する。
1674 延宝 2   
1675 延宝 3   
1676 延宝 4   
1677 延宝 5   
1678 延宝 6   
1679 延宝 7   
1680 延宝 8   
1681 天和 1   
1682 天和 2   
1683 天和 3   
1684 貞享 1   
1685 貞享 2   将軍綱吉、生類憐れみの令
 崎津鳥居建立(現存するものでは天草最古)
 八代郡五家荘、天草代官の支配所となる
1686 貞享 3   
1687 貞享 4   
1688 元禄 1   大矢野組、14年間の島原預かりを解かれ天草代官支配下に復帰
1689 元禄 2   
1690 元禄 3   染岳観音堂建設着手
1691 元禄 4   天草の人口34,000人
1692 元禄 5   幕府、高野山行人の争論を裁断し、600人余を流刑に処する。
 そのうち、天草に140人が流される。ただし、途中死去あり、実質132人。
 その他は五島、壱岐へ。
1693 元禄 6   
1694 元禄 7   
1695 元禄 8   
1696 元禄 9   
1697 元禄 10   
1698 元禄 11   
1699 元禄 12   
1700 元禄 13   高野山の配流僧ら赦免
1701 元禄 14   
1702 元禄 15   江戸無宿55人天草へ配流
 天草の甘藷栽培、このころ普及(推定)
 赤穂浪士討ち入り
1703 元禄 16   
1704 宝永 1   
1705 宝永 2   砥岐組7カ村の男女144人薩州伊佐郡菱刈に移住
1706 宝永 3   亀川村に疱瘡流行
1707 宝永 4   遠見番所増設
 富士山噴火・天草の富士噴火の砂被り被災地救済のため、上納金割り当て(高100石につき金2両づつ)を受ける

 富岡町で大火・焼失家屋314軒、町の人口1,760人中1,282人が焼け出される
1708 宝永 5   
1709 宝永 6   代官竹村太郎右衛門嘉茂、天草郡中疱瘡病人手当方を制定
1710 宝永 7   
1711 正徳 1   天草の人口52,785人。
1712 正徳 2   天草陶石発見
1713 正徳 3   大庄屋制廃止
1714 正徳 4   天草郡は、豊後日田代官室七郎左衛門に兼任支配となる。
 天草の大庄屋、特例として復活
1715 正徳 5   富岡に蔵元設置
1716 享保 1   享保の改革
1717 享保 2   唐津浪人広田和平、本村に移り住み天草土人形の制作を始める
 明徳寺山門建立
1718 享保 3   天草全島人口65,000人
1719 享保 4   
1720 享保 5   定免制スタート
 富岡でフカ狩り始まる
 天草は、島原城主松平主殿頭忠雄の預地となる 在番の肥後兵引揚げ
 郡中総高21,645石7升7合
1721 享保 6   全国的に人別改め実施、日本の総人口2607万人
1722 享保 7   島原城主松平忠雄、天草初巡視
1723 享保 8   
1724 享保 9   
1725 享保 10   
1726 享保 11   
1727 享保 12   享保の大凶作(旱魃・大風・虫害・洪水)による大飢饉。
1728 享保 13   
1729 享保 14   郡中大飢饉、餓死者400人余
1730 享保 15   このころ甘藷栽培盛んになる
1731 享保 16   
1732 享保 17   凶作続き、幕府は島原藩に命じ、給米千石を貸す(享保の大飢饉)  
 天草各地とも長雨後の日照りが続き、虫害による凶作 
 島原藩より公儀救飢米1000石の貸下げを受ける
1733 享保 18   西南諸国の餓死者16万9900人(徳川実記・96万と表記)
1734 享保 19   
1735 享保 20   
1736 元文 1   
1737 元文 2   島原城主松平忠俔、天草初巡視
1738 元文 3    
1739 元文 4   
1740 元文 5   島原城主松平忠刻、天草初巡視
1741 寛保 1   
1742 寛保 2   
1743 寛保 3   
1744 延享 1   
1745 延享 2   
1746 延享 3   将軍代替わり西国巡見使下向
 天草の人口74,657人
1747 延享 4   
1748 寛延 1   
1749 寛延 2   鈴木神社石造り社殿新建
1750 寛延 3   新島原城主、下野国宇都宮城主戸田忠辰と国替え 天草は戸田氏預かりとなる
1751 宝暦 1   
1752 宝暦 2   
1753 宝暦 3   
1754 宝暦 4   戸田忠寛島原城主
1755 宝暦 5   
1756 宝暦 6   
1757 宝暦 7   
1758 宝暦 8   
1759 宝暦 9   諏訪神社山口村より現在地に移転、大祭に農具市開催(本渡の市の起源)
1760 宝暦 10   御領に正倫社(私塾)ができる
1761 宝暦 11   全郡人口、89982人
1762 宝暦 12   上田伝五右衛門、鷹巣山に陶ガマを築く 高浜焼き
1763 宝暦 13   
1764 明和 1   
1765 明和 2   楠浦前潟新田一応竣工
 水ノ平焼起こる
1766 明和 3   楠浦村前潟新田、牛深村万屋助七に譲渡
1767 明和 4   田沼意次側用人
1768 明和 5   島原藩に替わり揖斐十太夫(日田郡代)天草の統治者に任命さる。
 ※揖斐郡代8,500石の租税を年々増加し12,000石とする。
1769 明和 6   
1770 明和 7   
1771 明和 8   出米騒動起こる。
1772 安永 1   疱瘡流行、本戸馬場村59人隔離
 田沼意次老中
1773 安永 2   疱瘡本戸馬場村新たに9人罹患
1774 安永 3   戸田氏と松平氏国替え、松平氏島原城主復帰 天草は西国筋郡代萎靡氏の兼帯続く
 杉田玄白解体新書
1775 安永 4   町山口村で大火、民家86軒焼失
1776 安永 5   アメリカ合衆国独立宣言
1777 安永 6   大風が吹き、櫨宇土村庄屋役宅や数個の神殿が倒壊
1778 安永 7   島子で切支丹発覚、4名捕らえられる
1779 安永 8   
1780 安永 9   
1781 天明 1   富岡町で蔵元騒動起こる。
1782 天明 2   天明の大飢饉(虫害・洪水・冷害)。
1783 天明 3   島原城主松平飛騨の守領地
 浅間山大噴火
 町山口村に疱瘡流行、罹患43人
1784 天明 4   天草の人口10万人を突破する。
1785 天明 5   楠浦町山口村など各村に疱瘡流行
1786 天明 6   ※天明年間には郡内の田畑の3分の2は銀主2百数十人の所有となる
1787 天明 7   寛政の改革
 6.牛深村銀主万屋助七外4軒の家屋打ち壊し、債権書類などを焼却
1788 天明 8   
1789 寛政 1   瑞岡珍牛東向寺13世住職
 富岡で大火、類焼500軒
 楠浦村舟津で大火、40軒焼失
 天草郡小前百姓3人、老中松平定信に篭訴
1790 寛政 2   天草人口過剰のため、江戸勘定所より関東移民をすすめられるも希望者なし
1791 寛政 3   天草で百姓徒党騒動
1792 寛政 4   雲仙眉山崩壊(島原大変肥後迷惑)、天草では18カ村で死者343人、怪我707人,死牛馬109頭、田畑損壊65町の被害をうける
1793 寛政 5   5.西目筋一町田・大江組百姓など100人余、都呂々村木場へ集結
 百姓相続方仕法が通達される
1794 寛政 6   2.出米願いにつき一町田組今村・本戸組枦宇土村にて百姓騒ぎ立て
1795 寛政 7   天草の人口、11万人を超える
 12.西目百姓拝借夫食米年賦返済方願い方として都呂々村に集結
1796 寛政 8   2.西目百姓およそ300人一町田村に集結、地主,銀主宅を打ち壊し
 天草郡百姓相続方仕法11か条公布

 大庄屋へ帯刀御免、庄屋、町役人に苗字永久御免
1797 寛政 9   
1798 寛政 10   
1799 寛政 11   
1800 寛政 12   志柿村で大火、100余軒焼失 被害者368人
1801 享和 1   
1802 享和 2   
1803 享和 3   
1804 文化 1   加藤民吉、天草にて磁器製法などの知識を取得
1805 文化 2   大江・崎津・今富村で隠れキリシタン発覚。5,000人を数えるも心得違いとして穏便にすまされる
 石本平兵衛、大飢饉被災者に救援米等贈る
1806 文化 3   
1807 文化 4   
1808 文化 5   
1809 文化 6   
1810 文化 7   伊能忠敬天草に来島し測量する。53日間・上田宜珍接待する
1811 文化 8   石本平兵衛、大飢饉被災者に救援米等贈る(〜天保8年)
1812 文化 9   12.世上不穏、小作米減少、庄屋減員につき越訴を説き、諸村を徘徊
1813 文化 10   天草を長崎代官高木作右衛門が兼帯支配
1814 文化 11   
1815 文化 12   
1816 文化 13   
1817 文化 14   上田宜珍、陶石販売をはじめる
 天草郡百姓相続方仕法11か条延伸
1818 文政 1   高浜村で大火
 頼山陽、西遊の途次千々石湾で暴風雨にあう。「泊天草灘
 全郡人口13万2205人
1819 文政 2   
1820 文政 3   赤崎村前田市右衛門、黒砂糖の製法、甘藷の苗を伝える
1821 文政 4   出稼ぎの奨励
1822 文政 5   寛政の相続方仕法は、郡中百姓の困難が続いたため公儀に願い出て、特に20年間の減税ある
1823 文政 6   上田宜珍、「天草島鏡」を完成
1824 文政 7   
1825 文政 8   
1826 文政 9   寛政の相続方仕法年限満期
 銀主勢力を増す
 天草の人口、14万余人に達する
1827 文政 10   
1828 文政 11   未曾有の大暴風雨襲来、田畑、家屋、漁船などに被害が及び死者33
1829 文政 12   
1830 天保 1   
1831 天保 2   
1832 天保 3   人口140,000人。
 僧定舜
、葵紋付の五条袈裟をあつらえたことで天草に流刑となる。
 祗園橋竣工
1833 天保 4   天保の大飢饉〜39年
 10.本戸・一町田・大江組の百姓集結
1834 天保 5   
1835 天保 6   
1836 天保 7   
1837 天保 8   大塩平八郎の乱
 郡中困窮、わずかながら餓死者でる
1838 天保 9   大風・疱瘡流行
1839 天保 10   
1840 天保 11   
1841 天保 12   天保の改革
1842 天保 13   
1843 天保 14   大矢野で百姓騒動
1844 弘化 1   郡中に一揆、参加者数万
1845 弘化 2   御領大庄屋長岡興成、農民の窮状を老中に直訴。
1846 弘化 3   弘化の仕法出る
1847 弘化 4   弘化の大一揆、暴民1万5千余 永田隆三郎 長岡興就
 天草,日田代官竹尾清右衛門預所となる。
1848 嘉永 1   
1849 嘉永 2   上津深江に牛痘山を起こし、初めて種痘を施す
 弘化一揆の首謀者として永田隆三郎ら処刑さる
1850 嘉永 3   
1851 嘉永 4   
1852 嘉永 5   
1853 嘉永 6   ペリー来航
1854 安政 1   ペリー再来航、日米和親条約締結
1855 安政 2   
1856 安政 3   勝海舟、富岡に来る
1857 安政 4   深海村大火。
1858 安政 5   楠浦村中心にコレラ流行
 楠浦村舟津で大火、人家110軒焼失
 幕府海軍、天草水夫約20人募集するも希望者なし
1859 安政 6   楠浦村庄屋宗像堅固、前潟新田を牛深村万屋助七より買い取る
 コレラ再流行
1860 万延 1   桜田門外の変
 宗門改め続行さるも踏絵は廃止される
 人口155,000人-現本渡市域の家数3978軒、人高23670人
 赤崎村庄屋北野織部、天草人夫1000人、沼船300艘をもって長崎大浦外国人居留場約2万坪の海面埋地に成功
1861 文久 1   南北戦争
 楠浦村庄屋宗像堅固、前潟新田釜の迫鑿河工事に着手
1862 文久 2   寺田屋事件・生麦事件
 大風雨発生、家屋・田畑損壊甚だし、飢餓に陥るもの多し
 1月長崎代官預け、6月新任命の西国郡代兼帯支配下
 値賀紋水、本戸馬場村で私塾集義館開く(後の天草郡郷学)
 コレラ再三流行
1863 文久 3   竹添荀園、町山口村で私塾誠文堂開く
 薩英戦争起き、幕府は肥後藩に天草の警備を命じる(ただし、肥後藩常駐は1866年から)
 郡中組々より薩摩への出稼ぎ人出発
1864 元治 1   楠浦村庄屋宗像堅固の前潟新田釜の迫鑿河工事完成
 日田郡代窪田治部右衛門天草代官(兼任)となる。天領最後の代官
 御領村大島の小山秀の進、長崎の大浦天主堂(国宝)を建てる
1865 慶応 1   
1866 慶応 2   
1867 慶応 3   大政奉還
 長崎の漢詩人谷口藍田本戸馬場村明徳寺内に文学塾開く
 過激派浪士約20人、富岡陣屋を襲撃、公金1万両前後を奪う
 窪田代官、農兵組織「制勝組」の編成に着手
 天草郡中、総高24493石余なるも実勢はその2,3倍に及ぶものと推定さる

天草歴史年表 -1500
天草歴史年表 1501-1600
天草歴史年表 1868-